ことばの独り歩き(第10話)

 
魚の呼び名は複雑怪奇。魚体の大きさで違えば、獲れる場所によって呼び名が異なる。

成長段階で呼び名が変わるブリやボラを代表する出世魚は有名だが、それがまた地域によって言い方が変わるそうだ。
地域によって呼び名が異なるのには、いわゆる和名が使われているからで、外国人に限らず、魚に詳しくない日本人ならいささか混乱してしまう。いつもながら思うが、魚の名前はいまだに覚えられない。
日本沿岸には四季折々で豊富な種類の魚が回遊している。魚の大きさもさることながら、漁獲する季節や地域により、同じ魚でも脂の乗りがまったく違うようだ。
我々は、各地の旬の魚を食料資源として、その恵みを享受している。魚の呼び名が豊富であることもおそらく、日本ならではの文化かもしれない。

マダイ(鯛)、マイカ(烏賊)、マイワシ(鰯)、マアジ(鯵)、マサバ(鯖)
どれも頭に「真(マ)」がつく魚であるが、一体どのような基準で「真」が付いているのか?

例えば真鯛は広義にはスズキ目タイ科の総称で、狭義にはタイ科のマダイを指す。
真イカと言えば、スルメイカ、ケンサキイカ、コウイカなどのイカを代表する呼び名で、その多くが総称としての「真」が使われるようだ。

しかしあるとき、このマ(真)が独り歩きをする。場合によっては、“高級な●●・真の●●”的な魚の品格や希少性を想起させることもあるようだ。

マダラ(真鱈)は鱈の総称とも言えるが、俗説では紋様が「斑ら(まだら)」であることから「真鱈」になったという説もある。
一方、マナガツオ(真魚鰹)は、文字通りのカツオ(鰹)ではない。マの命名については諸説あるようだが、西の地域では鰹の代用魚として、高級魚の意で「真の鰹」と名付けられたと言われている。

食べ物の呼び名の一部が独り歩きしてしまう例は、魚以外にもみられる。

英語のhamburger(ハンバーガー)はもともと、ドイツの都市ハンブルク(Hamburg)を起源にもつ。ハンブルグで人気だった挽き肉ステーキをパンに挟んで食べていたものが、移民によってアメリカへ持ち込まれた。サンドイッチ形式のハンバーガーが定着し、世界中で人気のファストフード文化として広まったことは有名だ。
しかし、このハンバーガー(Ham-Burger)の名称も、時代とともに変化する。
ハンバーガーは総称ではあるが、いつしか豚肉を意味するHam(ハム)と、Burger(※起源は町や砦を意味する語)が切り分けられ、この「バーガー」という語?が独り歩きを始める。

やがてハンバーガーの普及とともに、中身の豚肉がチキンやチーズへと入れ替わると、それらは「チキンバーガー」、「チーズバーガー」などと呼ばれるようになる。
日本でお馴染みの「ライスバーガー」ともなると、これが一体ライスなのかパンなのか、「バーガー」の原型すらどこかへ行ってしまった。

ことばの独り歩きが起こる例を紹介しよう。
ギリシア神話に登場する人物の名前を例に紹介したい。あくまで読み物(コラム)としてご一考いただきたい。

ギリシア神話で人間に火を与え、ゼウスの怒りを買った話は有名だが、そこに登場する神に「プロメテウス」と「エピメテウス」の兄弟がいる。

兄のプロメテウスは“先に考える者”を意味する神で、神話の中で、土と水から人間を創造し、人類に火を与えた者として知られる。

弟のエピメテウスは“後から考える者”を意味する神で、神話の中ではゼウスから与えられた「パンドーラの箱」をうっかり空けてしまい、人類に多くの禍をもたらした神として知られている。

兄の名称プロメテウスの“pro-”は、英語の接頭辞(※語の頭に付けて意味を付加する要素)として生きている。
例えば英語の「pro-logue(プロローグ)」は物語の序章(=まえ)を表す。
※「ローグ(logue)」はギリシャ語の「logos(言葉)」を意味する。

一方の弟エピメテウスの“epi-”は、終わりを表す接頭辞として、英語の「epi-logue(エピローグ)」などで、物語の終幕(=あと)を意味する。

先の「Ham-Burger」の例も同様、ハムとバーガーが独り歩きをしたとき、バーガー(Burger)が『パン(バンズ)』であるかのように振る舞い、現代のことばの中に生きている例と言える。

(2025年10月:shu)